2012.09.18 Tuesday
///// 眠っています /////
member Dです。
イベントが終わって長野からトンボ帰りで帰宅。
試写会イベントは知らぬ間にボクにとって仕事であって仕事でない大事なコトに
なってたから、
忘れる意識で《切りかえて》臨みましたが、
胸を押しつぶされそうになる”瞬間”はどうしてもあって。
だから、帰宅した時にまだ生きててくれたことが本当に嬉しくて。
長野への行き帰りであんなにあった悲しい気持ちが、
大袈裟でなく嬉しさに変わった感じで。もう長くないと感じてたけど、
会ったら、とにかく嬉しくて、悲しさがなくなっちゃって。
16日早朝、やっと会えた時はもう立てなくなっていました。
手足を触ると体温が低くなってるのが分かりました。
動物病院の先生には『呼吸が浅くなってきたら、数時間です。最後は唸ると思いますが、
そうなったら病院に連れてくるよりは見守る方がいいと思います』と、木曜日の治療後に
言われていました。更に『今までの経験から、この状態からは酷く苦しんで…ということは
ないと思います。言い方は変ですがそれは安心して下さい』とも。
金曜、土曜とAさんがほとんど眠らずによっちゃんを看てくれてたので、
『今日は朝まで俺が起きて看てるから…朝になったら交代しよう…』と
17日の深夜によっちゃんを仕事部屋にうつし、時々ジタバタしたら体勢を変えてあげる、
水を飲むか確かめる、おしっこならトイレに…。と、そんな意識で仕事をしていました。
口元が汚れてたので綿棒で綺麗にしたり。可愛いよと言ったり。
夜中3時ちょっと前に、少し呼吸が浅くなってきたように感じたので、Aさんを起こし、
2人で様子を見守りましたが、それ以外…心臓の鼓動や表情も含めて穏やかで、呻く様子も
ないことから『まだ大丈夫そうやね…また何かあったら呼ぶから…ごめんな起こして』と。
ボクも『ひょっとしたらあと2〜3日は大丈夫かな、祝日あけの火曜に病院に連れて行くべきかな…』などと思いながらも、
やっぱり今は仕事の気分になれないと、添い寝し、おしっこを失敗してもいいように
トイレ用の吸水シートを下半身の下に敷いて。久しぶりに一緒に寝ころべることを
少し嬉しく思ったりして身体をさすったり、声をかけたりしました。
17日早朝6時、Aさんの『よっちゃん…よっちゃん…』の声で目を覚ましました。
ボクは寝てしまっていました。よっちゃんは息をしていませんでした。
すぐに探した心臓の鼓動はもうどこを触っても見つかりませんでした。
6時に至る2度ほどよっちゃんの無事を確認したつもりでいましたが、
それも今思えば責任感からきた都合のいい夢だったかも知れません。ただ、よっちゃんは静かに息を引きとっていました。Aさんはボクを責めませんでした。
ジタバタした様子も、呻いた様子も目脂もなく口元も含めかわいい顔立ちのままでした。
体勢はボクが添い寝した時と表情も含めほとんど変わっていませんでした。
ボクは自分が知らぬ間に寝てしまったことを当然悔いましたが、それより、
苦しまずに逝ったようで安心したのが先でした。
知らぬ間に寝ていた自分といきなりの状況にびっくりしたこともあると思います。
ボクは泣きませんでした。ホッとしていました。
吸水シートは濡れていました。
それからのことは、あまり覚えていません。
知らぬ間に、何か言いながらボクは泣いてて。Aさんはもっと泣いてて。
Aさんのいない側の目からばかり涙が出てきて。
泣き疲れたのか、また知らぬ間に寝てしまったのか?
起きた?ら、昼過ぎで、9月半ばだというのに暑い日で、
保冷剤を使ってるのに、クーラーガンガンなのに、
早くもよっちゃんに羽虫が集ってきたのがどうしようもなく嫌で、
すぐに火葬場に連れて行く手続きをして。
すっかりかたくなってしまったよっちゃんを一度タオルでくるみましたが、
最後にもう一回と、おでこにキスをしたらもう涙が止まらなくて。
火葬場までのバスの車中でも、
乗り継ぎのエスカレーターでも、次のバスでも。
火葬場での所要時間はとても短いものでした。
Aさんは火葬場への道中の花屋で買った花束を一緒に入れてもらっていました。
家に戻ったら、首輪やお気に入りの皿以外、よっちゃんのものを片づけました。
トイレも、シートも、踏み台も、手製のベッドも。
分解できるものは分解して、生きているような雰囲気を手際よく片づけました。
1時間?2時間ほどかけて、綺麗に片づけたところで、気が付きました。
何をどれだけ片づけても何にも消えないということ。
『もう片づけるものがない』『もうやることがない』ということ。
寂しさを消す方法がもう何も浮かばないということ。涙が止まりませんでした。
そっからはまたあまり覚えていません。
気が付いたら、Aさんと2人、お互いに今まで撮ったよっちゃんの写真を片っ端から
全部見せ合っていました。それから、今日中に神棚?をつくって写真を飾ることにして、
その遺影?を決めることになりました。1時間?2時間?数百枚は見たと思います。
今までの写真を見てたら、前の家でのよっちゃんは半野良だったこともあってか、
すごくたくましい体つきで、何だか違う猫を見てるようでした。
そこでよっちゃんと写ってる自分も別人のように若くて恥ずかしい感じで。
今更ながらに『本当に長くいたんだなぁ』と…
…そうすると『今夜は任して』と言いながら寝てしまう失態をカマしながらも、
そもそも家猫になってくれたことや、最後はみんなが揃って家にいれたこと、
穏やかに逝ってくれたであろうこと、すぐに懐いてくれたこと、出会えたこと。
実際のよっちゃんがどこから来てどこに行こうとしてたのか、何才なのか?
誰が避妊手術をしてくれたのか? 前は誰かに違う名前で呼ばれてたのか?
分からないことだらけだけど、狛江で家を跨いで11年も一緒に暮らせたこと。
本当に最高だったかは分からないけど、やっぱり最高だったと。思えて。
今は少し気分が落ち着いてこうしてキーボードを叩いています。
こんなことをblogに長々と書いて…とも思っています。
よっちゃんが息を引きとってまだ24時間ですが、すごく長い一日でした。
よっちゃんは今、深大寺で安らかに眠っています。

photo "よっちゃん" 2006
了
イベントが終わって長野からトンボ帰りで帰宅。
試写会イベントは知らぬ間にボクにとって仕事であって仕事でない大事なコトに
なってたから、
忘れる意識で《切りかえて》臨みましたが、
胸を押しつぶされそうになる”瞬間”はどうしてもあって。
だから、帰宅した時にまだ生きててくれたことが本当に嬉しくて。
長野への行き帰りであんなにあった悲しい気持ちが、
大袈裟でなく嬉しさに変わった感じで。もう長くないと感じてたけど、
会ったら、とにかく嬉しくて、悲しさがなくなっちゃって。
16日早朝、やっと会えた時はもう立てなくなっていました。
手足を触ると体温が低くなってるのが分かりました。
動物病院の先生には『呼吸が浅くなってきたら、数時間です。最後は唸ると思いますが、
そうなったら病院に連れてくるよりは見守る方がいいと思います』と、木曜日の治療後に
言われていました。更に『今までの経験から、この状態からは酷く苦しんで…ということは
ないと思います。言い方は変ですがそれは安心して下さい』とも。
金曜、土曜とAさんがほとんど眠らずによっちゃんを看てくれてたので、
『今日は朝まで俺が起きて看てるから…朝になったら交代しよう…』と
17日の深夜によっちゃんを仕事部屋にうつし、時々ジタバタしたら体勢を変えてあげる、
水を飲むか確かめる、おしっこならトイレに…。と、そんな意識で仕事をしていました。
口元が汚れてたので綿棒で綺麗にしたり。可愛いよと言ったり。
夜中3時ちょっと前に、少し呼吸が浅くなってきたように感じたので、Aさんを起こし、
2人で様子を見守りましたが、それ以外…心臓の鼓動や表情も含めて穏やかで、呻く様子も
ないことから『まだ大丈夫そうやね…また何かあったら呼ぶから…ごめんな起こして』と。
ボクも『ひょっとしたらあと2〜3日は大丈夫かな、祝日あけの火曜に病院に連れて行くべきかな…』などと思いながらも、
やっぱり今は仕事の気分になれないと、添い寝し、おしっこを失敗してもいいように
トイレ用の吸水シートを下半身の下に敷いて。久しぶりに一緒に寝ころべることを
少し嬉しく思ったりして身体をさすったり、声をかけたりしました。
17日早朝6時、Aさんの『よっちゃん…よっちゃん…』の声で目を覚ましました。
ボクは寝てしまっていました。よっちゃんは息をしていませんでした。
すぐに探した心臓の鼓動はもうどこを触っても見つかりませんでした。
6時に至る2度ほどよっちゃんの無事を確認したつもりでいましたが、
それも今思えば責任感からきた都合のいい夢だったかも知れません。ただ、よっちゃんは静かに息を引きとっていました。Aさんはボクを責めませんでした。
ジタバタした様子も、呻いた様子も目脂もなく口元も含めかわいい顔立ちのままでした。
体勢はボクが添い寝した時と表情も含めほとんど変わっていませんでした。
ボクは自分が知らぬ間に寝てしまったことを当然悔いましたが、それより、
苦しまずに逝ったようで安心したのが先でした。
知らぬ間に寝ていた自分といきなりの状況にびっくりしたこともあると思います。
ボクは泣きませんでした。ホッとしていました。
吸水シートは濡れていました。
それからのことは、あまり覚えていません。
知らぬ間に、何か言いながらボクは泣いてて。Aさんはもっと泣いてて。
Aさんのいない側の目からばかり涙が出てきて。
泣き疲れたのか、また知らぬ間に寝てしまったのか?
起きた?ら、昼過ぎで、9月半ばだというのに暑い日で、
保冷剤を使ってるのに、クーラーガンガンなのに、
早くもよっちゃんに羽虫が集ってきたのがどうしようもなく嫌で、
すぐに火葬場に連れて行く手続きをして。
すっかりかたくなってしまったよっちゃんを一度タオルでくるみましたが、
最後にもう一回と、おでこにキスをしたらもう涙が止まらなくて。
火葬場までのバスの車中でも、
乗り継ぎのエスカレーターでも、次のバスでも。
火葬場での所要時間はとても短いものでした。
Aさんは火葬場への道中の花屋で買った花束を一緒に入れてもらっていました。
家に戻ったら、首輪やお気に入りの皿以外、よっちゃんのものを片づけました。
トイレも、シートも、踏み台も、手製のベッドも。
分解できるものは分解して、生きているような雰囲気を手際よく片づけました。
1時間?2時間ほどかけて、綺麗に片づけたところで、気が付きました。
何をどれだけ片づけても何にも消えないということ。
『もう片づけるものがない』『もうやることがない』ということ。
寂しさを消す方法がもう何も浮かばないということ。涙が止まりませんでした。
そっからはまたあまり覚えていません。
気が付いたら、Aさんと2人、お互いに今まで撮ったよっちゃんの写真を片っ端から
全部見せ合っていました。それから、今日中に神棚?をつくって写真を飾ることにして、
その遺影?を決めることになりました。1時間?2時間?数百枚は見たと思います。
今までの写真を見てたら、前の家でのよっちゃんは半野良だったこともあってか、
すごくたくましい体つきで、何だか違う猫を見てるようでした。
そこでよっちゃんと写ってる自分も別人のように若くて恥ずかしい感じで。
今更ながらに『本当に長くいたんだなぁ』と…
…そうすると『今夜は任して』と言いながら寝てしまう失態をカマしながらも、
そもそも家猫になってくれたことや、最後はみんなが揃って家にいれたこと、
穏やかに逝ってくれたであろうこと、すぐに懐いてくれたこと、出会えたこと。
実際のよっちゃんがどこから来てどこに行こうとしてたのか、何才なのか?
誰が避妊手術をしてくれたのか? 前は誰かに違う名前で呼ばれてたのか?
分からないことだらけだけど、狛江で家を跨いで11年も一緒に暮らせたこと。
本当に最高だったかは分からないけど、やっぱり最高だったと。思えて。
今は少し気分が落ち着いてこうしてキーボードを叩いています。
こんなことをblogに長々と書いて…とも思っています。
よっちゃんが息を引きとってまだ24時間ですが、すごく長い一日でした。
よっちゃんは今、深大寺で安らかに眠っています。

photo "よっちゃん" 2006
了